不器用で悲しいおじさん |
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おじさん=不器用この等式は、おじさんは不器用の部分集合であるとの意味です。ここでいう不器用は生き方の不器用さで、女性にも不器用な人はいますが、大方のおじさんは不器用だといっていいようです。
再就職を目指して職業訓練をしている人たちを見ているとき、あるいは、退職後に新たな自分の居場所を得られずにいる人たちを見ているときに、そのように感じます。 縁あって、私自身も経験したある職業訓練の場で、指導のお手伝いをしています。そこで、孤立した不器用なおじさんを見かけます。おじさんも頑張っているのですが、それが裏目、裏目に出てしまいます。 何らかの組織で、ある程度の地位に至った経験のあるおじさんは、その地位にふさわしい振る舞いを身に付けるべくかなりの努力したので、今度は、それを捨て去るのが難しいようです。はっきり言って邪魔でしかないものを、捨て去る器用さがないのです。 そのようなおじさんは、いろいろな局面において、自分がリーダーとなって主導権を握ろうとします。実は、おじさんにそうするだけの力があるからそうするのではなくて、主導権を握らなければ自分の存在を認めてもらえなくなるのではないかという恐怖心に駆られて出張ってしまうのです。 おじさんの発言は宙に浮き、周りの者は腰が引けているので、おじさんはますます躍起になって指導力を発揮しようとして、いよいよ墓穴を掘ってしまいます。おじさんの意図とは逆に、より恐怖を呼ぶスパイラルに陥ってしまうのです。 そのようなおじさんは惨めでありますが、おじさんにはプライドがありますから、自分が惨めであるとは認めず、周囲が悪いと考えます。よって、おじさんは孤立から抜け出すことができません。 そういう人を何人も見ますので、おじさんはどう振舞えばいいかという説明するのですが、不器用なおじさんは、それが自分に当てはまることであるとはわかってくれません。自分もおじさんであるだけに、不器用さが本当に悲しいです。 |
2012年9月11日(火) |