政治向きのことはあまり書きたくないといいつつ、またもぼやきます。
口と腹とがまるで違うということが、こうもあけすけに行われると、あきれてしまいます。
昨日旗揚げした新党がありますけれども、党名のセンスの悪さはさておいて、新聞各紙の社説を見ても、評判ははなはだよろしくありません。掲げられた政策が場当たり的で、便宜的なスローガン、大衆迎合的なスローガンだと批判されています。
「スローガン」という言葉を持ち出しているところに、すでにネガティブな視線を感じさせます。
似たような言葉で、「標語」といえば社会的な常識に合致するようなもの、「モットー」といえば道義的な意味合いも含んだようなもの、「キャッチコピー」といえば経済活動の場で用いられるようなもの、「スローガン」というと、主に政治的な場面で用いられ、そこには若干の胡散臭さも漂うというようなイメージでしょうか。
最もあやしげな「スローガン」の極めつけは、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場します。
戦争は平和である
自由は屈従である
無知は力である
この三つのスローガンが、小説に描かれている国家を支配する党「偉大な兄弟」によっていたるところに掲げられています。逆説で示されているこれらスローガンも、繰り返し見ることによって、違和感を持たずに受け入れられるようになります。
かつて、「郵政解散」というものがありました。そのときの首相は「郵政民営化が、本当に必要ないのか。賛成か反対かはっきりと国民に問いたい」と、たった一つのスローガンに選挙の争点を集約させて勝利しました。
いまから思うと、「偉大な兄弟」のスローガンほどではないしても、胡散臭さいものを感じますが、そのときの首相と今度の新党の代表とでは、決定的な違いがあります。当時の首相は、長年の主張を、信念を持って、自分の言葉で語っていると見えました。新党の代表は、彼自身が心にもない「スローガン」を便宜的に口にしているとしか見えません。そこは誤魔化しがききません。
小説『1984年』において、人々はダブルシンク(二重思考)をもつように訓練されています。ダブルシンクとは「一つの精神が同時に相矛盾する二つの信条を持ち、その両方とも受け容れられる能力」です。新党の代表はそれを実践しているかのようです。
2012年7月12日(木)