東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) https://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp 東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)は、サステイナビリティ学の世界的拠点を目指し、活動を続けています。 Thu, 28 Mar 2019 04:18:08 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.1.4 感覚の鈍麻 https://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/2013/12/19/%e6%84%9f%e8%a6%9a%e3%81%ae%e9%88%8d%e9%ba%bb/ Thu, 19 Dec 2013 06:15:18 +0000 http://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/?p=4014 年末になると、国の内外の重大ニュースが選ばれます。今年は何が選ばれるでしょうか。

私は、大気中の二酸化炭素濃度が初めて400ppmを超えたことを挙げたいと思っています。

ハワイのマウナロア山では、半世紀以上にわたって二酸化炭素濃度が測られてきました。今年の5月9日に400.03ppmとなり、観測史上最高となる400ppm超えを記録しました。

400ppmを超えたからといって、急に何かが起こるわけではありません。ここで測定される二酸化炭素濃度は、冬に上昇して夏に下がる季節変化を繰り返しながらも、全体として上昇を続けてきていました。いつか400ppmを超えることは確実で、想定外のことが起きたのではありませんでした。 逆にいうと、来たるべき日が来たということです。私はだからこそ重大視すべきではないかと思っています。

じわじわと進む事象は、ついついそんなものかと見過ごされてがちです。

ハワイの観測は1958年に始まり、そのときは315ppmでした。以来じわじわと着実に増え、とうとう400ppmを超えました。 この「じわじわ」を少しでも遅らせようとする努力も続けられてはきました。しかし、それは「じわじわ」のゆるぎない歩み対してまことに頼りなく、むしろ後退気味ですらあります。

人類の持続可能性は、この「じわじわ」の持続を食い止められるかどうかにかかっていると指摘されているのに、「じわじわ」があまりにも着実すぎるために、われわれの感覚は麻痺してしまっているようです。

「じわじわ」に対して鈍麻してしまう人間の感覚は、いくらぼやいてもぼやき切れるものではありません。

 

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本当の危機は? https://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/2013/09/30/%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ae%e5%8d%b1%e6%a9%9f%e3%81%af%ef%bc%9f/ Mon, 30 Sep 2013 07:31:29 +0000 http://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/?p=3958 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次評価報告書のうち、第1作業部会(自然科学的根拠)が公表されました。

内容は第4次評価報告書と基本的に同じで、それをより強く科学的に裏付けるものです。つまり地球温暖化の危機がはっきりと迫っていることを示すものです。

いってみれば意外性がなかったためなのか、あるいは危機意識が早くも飽和状態に陥ったためなのか、私たち一般市民の反応は残念ながら弱い印象があります。

それこそが実は本当に深刻な危機のような気がしてこわいです。

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体罰と虐待 https://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/2013/06/17/%e4%bd%93%e7%bd%b0%e3%81%a8%e8%99%90%e5%be%85/ Mon, 17 Jun 2013 07:11:01 +0000 http://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/?p=3909 虐待と書いたら、論議の余地なく許されない行為だと、多くの人は思うでしょう。体罰と書くと、場合によっては、許されるケース、あるいは必要なケースもあると考える人がいるようです。リンチと書いたらどうでしょうか。許されない行為だと、多くの人が思うのではないでしょうか。リンチを漢字で書くと私刑です。辞書によると「裁判などの手続きを取らずに、私人が勝手に行う暴力的制裁」がリンチです。体罰とどこが違うのでしょうか。リンチと虐待が異なるのは、制裁を加えられるような何かしらの行為があったのがリンチで、ないのが虐待なのでしょう。体罰には、必ずそれに先立って罰せられるような行為があるのでしょうか。

虐待が相次いで報道されています。乳幼児への虐待、知的障害者への虐待、高齢者への虐待…。ニュースを見ると暗澹たる気持ちになります。
虐待は日常の光景ではなく、それぞれが特異なケースであるのでしょう。
西東京の知的障害者支援施設では入所者に対して職員による虐待がたびたびあったとされています。
春日部市の高齢者介護施設では3年前、わずか4日間に3人の入所者が亡くなり、同じ時期に別の高齢者に傷害を負わせたとして元職員が、いまになって逮捕されました。いずれの場合も第一発見者は同じ元職員でした。元職員は傷害容疑に対して「イライラしてやった」「第1発見者になって同僚に認められたかった」と言っているようです。
これらの虐待は社会的に重大な犯罪と認識されます。

教育現場における体罰は、やや日常の光景に近く、重大な犯罪であるとは、多くの場合にはいわれていません。ただし、虐待と共通項があるような気がします。
虐待をする者、体罰をふるう者は、上位の安全な側に自分の身を置いています。稀に反抗にあうこともあるのかもしれませんが、自分の身が必ず危うくなるのであれば、虐待も体罰も行わないでいることでしょう。
さらに、弱者に対して暴力をふるうことで、自分に何らかの利を得ようとするという共通性もありそうです。ときには、自分にかかるプレッシャーのはけ口としているようなこともあるのでしょう。

パワハラとかセクハラも類似性があります。いろいろ思うと、ますます暗澹たる気持ちになります。

 

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トップが知らなかったといっていいの? https://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/2013/06/13/%e3%83%88%e3%83%83%e3%83%97%e3%81%8c%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%84%e3%81%ae%ef%bc%9f/ Thu, 13 Jun 2013 06:07:58 +0000 http://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/?p=3906 たとえば、こんなことがあったとします。
なじみのラーメン屋で、どうもこのごろ麺の量がちょっと少ないような気がする。店主にきくと、事もなげに「いままで通りですよ」という返事。こっちの感覚が変わったのかなと思う。
しかし、何回か通って、やはり気になって仕方ないので、店のおカミサンに聞くと、「実は前から調整していました」という。怒って、店主に問いただすと、「わしは知らなかった」という。
もしそんなラーメン屋があったら、通い続けるでしょうか。

だいたい店主が知らずに調整するのは変です。
カミサンが勝手にやったとしても、店主が気づかないのは、ぼんやりしすぎです。
本当に店主は知らなかったとしても、客に向かって「わしは知らなかった」というセリフは絶対にいうべきでははないでしょう。店主は責任者なのです。知っていなければならないのです。
責任者が平気で「知らない」などといったら、店の信用も、店主の信用も一遍になくします。

プロ野球の統一球が飛びやすく調整されていたという話は、まさにそういうことのようです。
日本野球機構(NPB)のコミッショナーは、記者会見で「事実を知っていれば公表していた。隠蔽でも不祥事でもない」といったそうです。それって、世間に向かっていっていい言葉なのでしょうか。
組織のトップが「わしは知らない」と、外に向かっていうのは、ありでなのでしょうか。それをいったら、「私は無責任の極みです」と、公言するに等しいのではないでしょうか。
コミッショナーの隣りには、「昨年夏にコミッショナーに相談した」と話していた事務局長がいました。事務局長がウソをついていたのなら、何らかの処分をして、事務局長抜きで記者会見をすべきでしょう。
「知らなかった」でとりあえず逃げようというのは、トップとして見苦しすぎます。

「近頃の若い者は」とは、大昔からある嘆きらしいです。
最近では、「このごろのトップは」と、いい年したお偉い人たちのふるまいをぼやかないといけないようです。

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優先席でのケータイ https://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/2013/06/10/%e5%84%aa%e5%85%88%e5%b8%ad%e3%81%a7%e3%81%ae%e3%82%b1%e3%83%bc%e3%82%bf%e3%82%a4/ Mon, 10 Jun 2013 07:01:17 +0000 http://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/?p=3903 このごろ、電車のなかで携帯電話で通話しているのを見ることが、以前よりも増えたような気がします。一人の利用者が携帯電話で通話する頻度自体は減っているように思うので、携帯に慣れすぎて、車内であるという意識が希薄になっているのかもしれません。通話する若い人はほどんど見ないので、中高年の大人の問題です。

この前は、山手線で、優先席で通話している人を連続して見ました。割とすいている電車だったので、つい、これくらいいいやと思ってしまうのでしょう。一度などは、一つの優先席で二人が、大きな声を張り合うようにして通話していたので、びっくりでした。

で、注意したのかというと、できません。逆ギレされても怖いので、つい見て見ぬふりをしてしまいます。友達と一緒だったりすれば、聞こえよがしに「優先席で電話していいことになったのかなあ」とか言ってやるのですが、一人では勇気がありません。
いかついおじさんだったりしたら、絶対に無理です。

通話していたのではありませんが、優先席でスマホをいじっている人を、ある男性が「ここは電源を切る場所です」と注意していました。立派だなあと感心しました。注意された人は、何も言わずに、横を向いて、すっと立って移動して行きました。何だか嫌な感じと思いましたが、注意しない私も嫌な感じではあります。

ローカル線で、やはり優先席で注意した人がいました。注意された人は「通話もメールもしていないから」とやや怒り気味に言い訳をしました。「それは見ただけではわからない。自分はペースメーカーをつけていて怖いので、まぎらわしいことはしないでください」とこちらもやや怒り気味。どうなることかとハラハラして、聞くともなしに聞いていると、注意された人はそこで素直に謝り、どういう流れからか、二人の会話がしばらく続き、なぜか別れ際に名刺交換までしていました。のんびりしたローカル線ならではの光景だったのでしょう。

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テキトーな議論 https://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/2013/05/13/%e3%83%86%e3%82%ad%e3%83%88%e3%83%bc%e3%81%aa%e8%ad%b0%e8%ab%96/ Mon, 13 May 2013 06:54:26 +0000 http://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/?p=3895 下心を隠して、ものを言うと、話がテキトーで、胡散臭くなるのは、世の常なのでしょう。

政治的な話題ですみません。憲法改正に関する議論がその好例なので、ついぼやきたくなりました。
憲法改正の議論が一部でさかんになりつつあります。ある方向性で憲法を改正したいと考える人たちが、憲法を変えやすくするために、まずは改正の手続きを定めた第96条を変えようともくろんでいることから始まった議論です。

「ある方向性」の是非はともかくとして、下心が見え見えで、しかし、それをとりあえずは無理に隠しての議論なので、言っていることが我田引水で、全くテキトーで、聞いて呆れます。

日本国憲法は一度も改正されたことがなく、数多く改正されている他国に比べて極めて異例で、国民の意志が反映されない憲法になっているから、改正手続きを簡便なものに改める必要があるというのがたぶん骨子でしょう。
笑ってしまうのは、他国に比べて極めて異例な改正手続きであるから改めるというのならば話が通じるでしょうが、改正案でいわれているのは、議会の過半数で発議できるという、他国に比べても緩い条件にするということです。要するにユルユルにしたいだけで、他国との比較はテキトーに持ってきたのです。

憲法改正を国会が発議しやすくして、国民投票に付すことで、国民の意志が反映されやすくなるとも言っています。しかし、場合によって国会のたかだか過半数をやっと超えた程度の賛成で、国民投票に付すというのは国会の機能を自ら放棄しているかのようです。国会で十分に議論した結果、3分の2以上の賛成にまで達したから、国民の審判をあおぎたいというのが、言論の府としての立派なあり方なのではないでしょうか。憲法というのはそれくらいの重みがあるものではないでしょうか。
国会では半分近くの反対があったけれど、国民投票によって国民の意志として決めてしまうというのは、はなはだ短絡的ではないでしょうか。

テキトーな議論で第96条を変えて、どんどんテキトーな議論で他の条項も変えるようなことをされてはたまりません。
改正手続きを改めようとすればするほど話は必然的にテキトーになっていくでしょう。しかし、テキトーな話でも、繰り返し聞かされると、何となく納得してしまうというのも世によくあることです。気をつけたいものです。

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やる気がない https://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/2013/04/15/%e3%82%84%e3%82%8b%e6%b0%97%e3%81%8c%e3%81%aa%e3%81%84/ Mon, 15 Apr 2013 06:58:07 +0000 http://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/?p=3860 「人の振り見て我が振り直せ」といいますが、「我が振り」を直すのは、難しいのでしょう。

国政選挙の「1票の格差」は、違憲とする判決が出ましたように、それ自体が大きな問題でありますが、国会の対応を見ていると、腹が立つやら情けないやら、違憲よりももっと問題と思えるほどです。
国会議員の発言はいろいろ聞こえてきますが、要するに、やる気がないようです。

いわゆる「0増5減」を先行して進めるか、それでは不十分だから抜本な改革が必要だという対立になっているようですが、お互いに譲らないままに、先送りにするのを狙っているとさえ思えます。

「0増5減」が通ると、1票の格差は1.998倍にまで縮小されるそうです。ほぼ2倍で、平等といえる状態になるのでしょうか。「0増5減」は最低ラインだから賛成しろとすごむ人もいるようですが、居丈高にいえるようなものなのでしょうか。抜本な改革が必要というのは結構ですが、具体性に欠けるので、まったく迫力がありません。双方、ただ言い合うだけで、終わりなのでしょうか。

与党からは、「1票の格差」問題を、軽視する発言も聞こえてきています。
報道によると、「1票の格差がけしからんという声は聞いたことがない」とか、「選挙制度が憲法に適合するかの判断は国会に委ねられている」 とか、「裁判所の判断に誤りがないかチェックする機能が必要だ」とか、要するに、「ごちゃごちゃ外からいうな。自分たちで判断する」といいたようです。
選挙制度は、議員の先生方の命運を直接左右するものですから、他人に触れてほしくないのでしょう。違憲と言われても、「我が振り」は直さずにいたいらしいです。さらには「違憲」という口を封じ込めてしまいたいとも思っているようです。

自分の利害に対しては敏感なくせに、国民の権利に対する鈍感さは恐ろしいばかりです。このような国会議員がみんな落選するような制度にできたら気持ちいいでしょうね。

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文化の奥行き https://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/2013/03/28/%e6%96%87%e5%8c%96%e3%81%ae%e5%a5%a5%e8%a1%8c%e3%81%8d/ Thu, 28 Mar 2013 06:40:30 +0000 http://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/?p=3715 先日、浅草演芸ホールに行きました。
浅草演芸ホールというのは、浅草にある寄席です。東京に4つある寄席の定席の一つで、残りの3つは、鈴本演芸場、新宿末廣亭、池袋演芸場です。

平日の昼間だったので、すいているだろうと思って入ると、8割ほど座席が埋まっていました。女性も多く、若い人も結構いました。その後、ほぼ満席になりましたから、世の中、ヒマな人が多いようです(私もふくめて)。

この日は、あるお目当ての落語家さんがいましたので、その人が登場する1時間半ほど前に入場しました。
入ったときは、ちょうど紙切りの最中でした。お客さんの出すお題を聞いて、即座にその形を切るのですが、場所柄、スカイツリーという題や、時期的に新一年生といったお題がありました。
お次が落語で、落語とそれ以外の色物が交互になっていて、飽きない組み合わせになっています。

途中、短い休憩時間があって、売店をのぞいたりしていると、そこに、お目当ての当の落語家さんが、すっと入って来ました。町にいくらでもいそうな地味なごく普通のおじさんでした。
そのおじさんが、いよいよ高座に上がると、顔を上げただけで館内は大爆笑。さきほどの地味さとはまるで違います。噺も、もうおかしいのなんの、笑いっぱなしでした。

寄席で楽しい時間を過ごしてから、真面目に考えますと、人を笑わせることを仕事としている芸人さんが大勢いて、芸を披露する寄席というものが存在しているというのは、もしかすると、なかなかたいへんなことなのかもしれません。寄席には笑うために行くのです。芸人さんは笑わせるために、何年も修行を積むのです。
笑いというものを巡って、寄席を媒介として、客と芸人との関係が江戸時代からずっと持続しているというのは、日本の文化も奥行きが深いものがあるといっていいのではないでしょうか。

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シェイクアウト訓練 https://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/2013/03/14/%e3%82%b7%e3%82%a7%e3%82%a4%e3%82%af%e3%82%a2%e3%82%a6%e3%83%88%e8%a8%93%e7%b7%b4/ Thu, 14 Mar 2013 07:15:08 +0000 http://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/?p=3669 シェイクアウト訓練をご存知ですか。

かくいう私も、つい最近知ったばかりです。シェイクアウト訓練というのは、地震から身を守るための行動を、日時を決めていっせいに行うものです。

私の住む町で、東日本大震災からちょうど2年になる前日の3月10日に、シェイクアウト訓練が行われました。同時に、海岸部では津波から逃れる訓練もありました。私の家は、海から200mほどしか離れていないので、両方の訓練に参加しました。

事前に、市の広報で訓練の詳細が知らされていて、訓練時刻の30分前には、防災放送で予告がありました。訓練開始は午前9時30分でした。
シェイクアウト訓練の特長は、誰もが簡単に参加できるシンプルなものだという点にあります。地震発生時に「安全確保行動の1-2-3」をとります。
「地震発生!」の放送とともに、「安全確保行動の1-2-3」を行いました。

1は、Drop(姿勢を低く!)
2は、Cover(体・頭を守って!)
3は、Holdon(揺れが収まるまでじっとして!)

これだけで終わりです。
その直後に、津波警報が発令され、避難することになりました。

私は、津波避難ビルに向かいました。東日本大震災後に、行政とビルの所有者が相談して、地震時に一時避難所となるビルがいくつか指定されました。その最も近いビルに向かったのです。

近所の家から、小学生を連れた家族連れが出てきて、同じ方向に歩き出しました。子どもはちゃんとヘルメットをかぶり、大人は持ち出し用のリュックをしょっていました。私は手ぶらです。取り組む姿勢が違います。途中で、ぱらぱらと人が出てきましたが、家の数からしたらほんのわずかで、訓練への参加率はごく低い印象でした。
避難ビルでは、行政の方が待っていて、アンケート用紙を配っていました。数少ない避難ビルなので、数十人ほどの人が集まっていました。それだけでもうビルの入り口はかなり混雑していましたから、本当の災害時には大変なことになりそうです。

ふだんから、馴染みの場所でも、いざその気になって行動してみると見えてくるものがあります。避難ビルの近くには、ちょっとした高台があり、避難ビルがいっぱいになってしまうようなら、高台に行った方がよさそうです。ビルの最上階よりは低くても、避難する場所は確保できそうです。
避難ビルへの最短経路としては、住宅街を縫う細い道があります。地震時には通りにくいだろうと、訓練のときは、広い道を選びました。帰りに、そちらに行ってみますと、狭い道をはさんで左右ともブロック塀の箇所があったりして、やはり避難経路としては不適切であることがわかりました。

訓練は面倒ではあっても、自分のためには参加した方がいいと感じました。そして、近所の家族のように、もっと真剣に取り組むべきだとの反省もしました。

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想像するだけでも…… https://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/2013/02/27/%e6%83%b3%e5%83%8f%e3%81%99%e3%82%8b%e3%81%a0%e3%81%91%e3%81%a7%e3%82%82/ Wed, 27 Feb 2013 06:48:03 +0000 http://ir3s.ifi.u-tokyo.ac.jp/?p=3587 エジプトで気球の墜落する事故がありました。

不謹慎なのかもしれませんが、報道されている情報に基づいて、もしも自分が乗っていたらと想像すると、これは本当に恐ろしい事故です。
事故で命を落とすのは何であれ嫌ですが、その中でも特別に恐ろしいものであるように思えます。犠牲になられた方々が、どれほどの恐怖を味わったのかと思うと、いたましい限りです。

熱気球から煙が出て、すぐに操縦士が飛び降り、続いてもう一人飛び降りたそうです。操縦士は重体で、もう一人が生き延びました。
操縦士が真っ先に飛び降りたのは、乗客を残して無責任ともいえますが、これから何が起こるか彼にはすぐにわかったからなのでしょう。そのときは気球は地上から数メートルの位置にあったので、助かる唯一のチャンスでした。
その後、気球は煙を上げながら上昇していきました。乗客は、飛び降りるにはもう遅すぎるし、このままでは気球が燃え尽きて必ず落ちるだろうと、どうすることもできない絶望感に陥ったことでしょう。

想像するに、事故で死ぬのなら、何が起こったかもわからないくらい瞬時であるのがいいでしょう。そうでなければ、あきらめるに十分なくらいの時間があるのが次善でしょうか(人生への別れを思い遺書を書くなどする)。
今回の事故は、自分の身に何が起こっているのか、全てが見えているのが怖すぎます。しかも、恐怖を味わうには長すぎる時間があったようです。
亡くなった四人の日本人は60代の夫婦とのことですから、私とそうは違いません。定年後の楽しい夫婦旅行がこのようなかたちになってしまい、自分におきかえて考えると、気の毒で言葉もありません。

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